しっかり連投

今日も更新していきます。

毎日更新が大事だってことを最近知ったんです。というのもyoutubeでも始めてみようかなと思って調べていたら毎日投稿が初期段階では必須だとのこと。これはとても忙しいんだな。両立してる人がいたらすごいなと褒めたいです。まだやり始めてもないのに俺は何言ってんだ。

 

まあそんな感じで今日もテキトーなことを考えて生きてきました。今日は祝日だったから塾のバイトもなく、お昼からは家に帰ってお昼寝して、最寄り駅の無地カフェで語学の課題をして、隣に座ってた可愛い人たちを横目で意識しながら、逆ナンしてくれないかなあなんて思いながらカッコつけてた、そんな一日です。逆ナンを待っていてもしてくれるわけないのに、自分から行く勇気もないし全く情けない。勝手に逆ナンされなかったことに落ち込んで馬鹿みたいだな。こんなふうに自分に過剰に期待してても全く意味がないんです。

自分に期待をしない、期待をするから緊張する。この場面は一世一代の大場面だ。そんなことを思って緊張に潰されていつも通りのパフォーマンスを発揮できない。周りの目を気にしすぎて何も行動することができない。そんな人が多い気がする。僕は最近いい意味でも悪い意味でも緊張をすることがなくなった。というか感情が薄くなった。何かに一生懸命になることがダサいから合唱コンクールの練習をサボるとかそんな中学生じみたことではない。何というか、力の入れどころを抑えていれば何とかなることを知ってしまったのかもしれない。一番重要そうなところでしっかりやってる姿を見せればなんかやってる感が出るでしょ。そうやって乗り切ってきました。それだけでなく、別にそこで失敗したからといって何かが終わるわけでもないし、死ぬわけでもない。そんな一面がある。気持ちが昂っているときはそんなことは言わないと思う。よりストイックに、より限界に向かって努力をしようとする。自分が二ついる感じがする。よく友達にサイコパスと言われるのもそれが理由なのかもしれない。

なんでだろう、いつから感情がなくなったのか。失敗しても、怒られても何も感じなくなってしまったのは何故だろう。成功した時はもちろん嬉しい、ポジティブな感情しか残っていないことが多い。これはなんでなんだろう。失敗を引きずって後悔することがない。うん。これはきっとサッカーのせいだ。

サッカーはトライアンドエラーを繰り返して攻守が目覚ましく入れ替わるスポーツだ。局面の切り替えと突破で大きく試合が動く。また簡単には点が入らないが故、最後まで何があるか分からないスポーツでもある。この競技性からして、一つ一つの失敗にいちいちうじうじしてる暇はない。そんな暇があるなら早く切り替えてボールを取りに行きなさい。常にそう教わってきた。高校時代の監督がべらぼうに怖かったのもあるかもしれない。ミスして常に怒られてきた。それが怖くて仕方がなかったために失敗してもそれを取り返そうとするための切り替えをしてきた。そして次に同じミスをしないようにトライしてきた。だから失敗してもその瞬間には次のことを考えることが多いのだろう。失敗してもいちいちくよくよしてたら高校3年間やっていけるわけがない。

今、自分がこのメンタルになれたのは、高校時代にめちゃめちゃに怒られてきたからなのだろう、感謝をしたい。俺から感情を奪った恩師に。