#実力以上の評価をもらっているわけ。

朝5時半から一睡もせずに一帰宅もせずに今を迎える。ここはグランドの隣に併設している寮の友達の部屋。今日は1日ここで寝かしてもらいます。もちろんベッドの横の地べたで。

 

今日は忙しい一日でした。と言えるほど何もしてないかな。朝起きて練習に繰り出して10時半ごろに終了。10時45分からの英語の授業に備えて急いでプレゼンの練習。そしてプレゼンでしれっと優勝して、優越感に浸りながら松屋で一人で牛丼をペロリ。 14時からのバイトに向けて移動を開始して電車で一本の道を座りながら爆睡。40分ぐらいの道のりが5分に感じられる非常に効率の良い睡眠で頭はシャキッとしました。 バイトでは仲のいい先輩たちと話しながらただダラダラと作業をこなしていき、無事ノルマは達成することができた。この4時間のバイトは絶対に給料に見合う仕事はしていない自負がある。私がこれまでに獲得してきた信頼は厚く、なぜか給料を上げてくれたり、私が塾の講師のバイトをやりたいからやめてしまうかもしれないと話した時に意地でも止めようとしてくれた。なんていいボスなんだろう。ただそんな期待に応えられることもなく、ただただ言われたことをこなしている。これに付加価値があるのだろうか。私に払う給料でいいご飯を食べた方がいいのではないかと日々思いながら給料を噛み締めてる。私にしかできない仕事があるとも思えない。みんながわからないものは私もわからないし、みんなに分かることは私も同じようにできる。しかし私は他の人たちよりも良い給料をもらっている。もっと何かプレゼンスを示さないとな。

これは私の所属しているサッカー部でもそうだ。私は2年の頃からレギュラーで出ることが多く、いろいろな経験をさせてもらっている。一年生の時も同じように、ずっとトップチームにいさせてもらった。私は何て幸せなんだろうか。でも実力が伴っていないのではないかを苛まれる一方で、自分に自信がない。確かにプレーするときは誰よりも上手いと思いながらプレーするようにはしているが、それは空元気ならず空自信である。納得のいくような実力がなく、結果を出しているわけではないのに評価されるのは正直心が痛い。自分の存在価値はそんなに高いものではない。もし監督が自分を期待して成長してほしいがためにそのような処遇をとるのか、自覚を持たせることで組織を背負わせようとしているのかは私にはわからない。しかし今間違いなくそれは私の足枷になっている。わたしは普段から切り抜ける力が非常に高い。自分が不利益を被らないためにかつ人から信頼されるように繕うことが非常に上手だ。それに監督は騙されているのだろう。それともそれさえも知っているとか。わからない、私はそんなに真面目な人間ではないのに。高校までは成績だっていつも一番だった。大人に見られるところでは真面目にやる癖がついた。力の入れどころが分かるようになっていた。しかしそれには実力は伴っていないことが多く、常に実力以上評価を受けてきた。大人に気に入られるような性格の良さと、抑えるところでしっかりと抑えるだけの最低限の結果を残し続けた。その結果、自分では過大評価とも思えるような評価を常に受けてきた。何度も本当に実力があれば心が苦しくなることはないんだろうなと思ったことか。しかし私は努力をしてこなかった。そのつけがいつ回ってくるのかもわからない。実力をつけたい。切実に今はそんなことを感じているんです。

努力するといったり、毎日これだけは絶対やるといったことも絶対に続かない、というより続けるだけの意志の強さがない。これは今まで努力しなくてもなんとなく結果が出てしまっていたり、大人から評価を受けてきたからなんだろうな。いつも思う。もっと実力をつけたい、だけど地道な努力をするのは嫌い。そうやって生きてきた結果が今の自分を形成してると考えると非常に腹が立つけど筋も立つ。こんなに考え込むことはあんまりないし、楽観的な性格だからとか優しいから気にするストレスは少ないと思っていたけど、それも実際には頭の中で作っているキャラであり、本能的なものではないのかもしれない。今日をきっかけに、自分ってなんだろう、明日から一回考えてみたいと思う。